「下北の能舞」魅力紹介~岩屋地区、尻労地区~

  • 青森県
2024.08.30

東北地方には、古くから受け継がれている民俗芸能が多数存在します。

これらは総称して「修験能」とも呼ばれており、15世紀(室町時代)頃に修験者より伝えられたものが各地域で伝播し受容、定着する過程の中で地域の民俗文化などと習合されていき、それぞれ独自の形で根付いていったとされています。
青森県下北郡東通村で伝えられている「下北の能舞」もその一つとされ、権現様と呼ばれる獅子頭を「神様の仮の姿」として奉っており、毎年権現様へ舞を奉納し、火伏、五穀豊穣、無病息災など人々の安泰を祈祷してきました。
また、下北の能舞は1989年に国の重要無形民俗文化財に指定されました。青森県内では8件指定されていますが、下北半島では唯一指定されている民俗芸能です。

東通村の岩屋地区、尻労地区は当社の風力発電所が立地しており、当社社員が能舞継承の一翼を担うなど様々な交流があります。
下北の能舞について岩屋地区、尻労地区の皆様にお話を伺いました。

※重要無形民俗文化財とは:https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/shokai/minzoku/

岩屋地区編

岩屋地区では、能舞の伝承を「岩屋青年会」にて行っています。岩屋青年会会長である白濱さんと、OBとして携わっている岩屋地区の方々にお話を伺いました。

――岩屋地区では、いつ頃から能舞が伝えられたとされているのでしょうか?

岩屋地区は東通村の中でも古くより能舞が伝承されてきた地区の一つと言われています。いつから始まったのか詳細な時期は不明ではあるものの、明治時代の資料が残されているのでその頃には既に活動として確立されていたとされています。
道具や書物は古くからのものが数多く残されており、例えば我々が演じる上で大切なお面は100年以上前に作られたものもあります。演目の歌が書かれた書物も原本が別で保管されており、普段各自が所有しているものは原本の写本となります。現在使用する機会はないものの、青年会で大切に保管しています。

 

――地区の中ではどのような活動をされているのでしょうか?また、昔と今で活動内容の違いはありますか?

以前は、地区の若者は皆青年会に加入することで様々な役割が与えられました。能舞の習得は青年会の大切な活動の一つとされており、年初に新人のお披露目会と称して演目が披露されるのが地区の中では大きな行事でした。皆の前で披露するため、仕事の合間に集会所に集まって先輩から教えてもらいながら習得していく。歌や舞が書かれた本はありますが、結局は自分の舞を先輩に見てもらいながら教わるのが一番早い習得方法でした。
今のようにテレビなどの娯楽もなかったため、地区の若者は娯楽として能舞を踊っていたようにも思います。その後国から重要無形民俗文化財に指定されたことで、岩屋地区青年会としては国立劇場で能舞を披露した経験もあります。


昔と今との違いで大きな点はやはり人数でしょうか。多い時で100名程青年会に所属していたので、披露する際に演じる演目数はとても多かったです。
今は地元を離れる人も多く、次世代の担い手が少なくなったため披露できない演目も増えているのが現状です。演目によっては踊りを継承できていないものもあり、このまま今後も披露されないものもあるのだと思います。
青年会の人数は少なくなりましたが、今は地区全体で能舞を絶やさぬよう、我々のようなOBが歌やお囃子など裏方として協力しながら活動を続けています。

 

――皆さんの思う、能舞の魅力はなんでしょう?

能舞の魅力は、元は同じものだったはずの踊りや歌が地区ごとに様々な形で伝承されていることです。岩屋地区も独自の進化を遂げており、他の地区と比べて歌や踊りが豪快だそうで、迫力があるとよく言われます。初めて能舞を見た人は違う演目かと思ったと言われることもある程です。でも、この豪快さが岩屋地区の能舞の魅力だと思っています。 

今後も、自分たちが受け継いできたこの舞を大切に守りながら次世代へ受け継いでいきたいです。

当社と能舞のかかわり

2000年にユーラス岩屋ウインドファームが運転開始した際、竣工式にて能舞を披露いただきました。
演目は「権現舞」で、あらゆる災難を退散させ人々の安泰を祈念するものです。

 

 

尻労地区編

尻労地区では、能舞の継承を「尻労後援会」にて行っています。尻労後援会の林良一会長と後援会の皆様、太夫を務められる林孝志さんにお話を伺いました。

――尻労地区にいらっしゃる権現様の特徴はありますか?

権現様である獅子頭は地区ごとに顔立ちが異なります。尻労地区は女獅子を奉っており、角がなく、耳が垂れているのが特徴です。厄年の人は熊野神社で厄払いをしてもらい、お守りとして獅子頭の毛をもらう風習があります。その髪の毛をもらった御礼として、頭に名前を書いた布を巻き付けるのも尻労地区ならではの特徴です。

 

――尻労地区で使用されている道具について教えてください。

能舞で使用する装備品は長年受け継がれながら大切に使用されています。お面もその一つです。その顔立ちは様々なため、修復すると表情が変わってしまうこともあり、修復せず保存しているものや修復しながら使い続けているもの、新たに作り直すときもあります。お面は表情が大切で、同じお面でも物によって表情が全く異なります。演目中ずっとお面をつけていますが、汗を大量にかくため管理がとても大変なんです。
お面の他に演目で使用する装備品は後援会の中で制作することもあり、自作の物が代々使用されていることも多いです。甲冑などは手縫いで作ることもあり、細かい模様は手先の器用な後援会のメンバーの力を借りて修復したり、新作を制作したりしています。

 

――林(孝)さんの務める「太夫」はどのような役割なのでしょうか?また、後援会で活動されていた頃と現在で何か違いはありますか?

尻労地区では能舞の伝承にあたって「太夫」も重要な役割を担っており、主に後援会を卒業した者を中心に後援会への指導や裏方の手伝いなどを担当しています。

私が後援会の一員として活動していた頃は、書物だけでなく師匠方からの指導が重要な習得方法でした。これが最も大きな違いだと思います。
演目は長いもので30分を超えるものもあります。基本の型はありますが、そこから演目ごとの型を覚えていく作業が必要となり、残っている資料だけでは分からない部分も多く、先人たちからの助言をもらいながら完成させていきます。
今は映像で残すことができますが、当時はそのような技術もなかったので最初に能舞が伝わった時と同じように人伝いに長年受け継がれていたと言えます。
ちなみに、人伝いに伝わったからなのか、東通村の能舞は演目名が同じであっても、各地区で歌のイントネーションや拍の取り方、踊り方は異なります。それぞれ各地区らしさが表れていると言われており、これは魅力の一つだと思います。

 

――後援会では現在どのような活動をされているのでしょうか?

かつて、尻労地区には数十の演目が存在しており、お披露目の際は夜に始まったものが深夜3時頃まで催されることもありましたが、継承の過程で後継者が減ってしまい、現在は演奏できない演目も存在しています。
最近は能舞に興味を持っていただく方も増え、1年を通して地区の活動だけでなく、県内や全国で公演のお声がけを頂く機会も増えています。後援会のメンバーは仕事と両立しながら活動している人が殆どのため、調整しながら活動しています。どこの地域でもそうですが、伝承の担い手が不足しているのは我々も同じです。能舞に興味を持っていただくべく、様々なツールを活用して積極的に情報発信しています。

後援会ではSNSを通じて能舞の魅力を発信しています。是非ご覧ください。
YouTubeInstagram

当社と能舞のかかわり

当社の青森事業所に勤務している畑中さんは、尻労後援会の一員として活動しており、尻労地区の能舞継承を担っています。